カタカナ再考
「英語が出来ません」(刀祢館 正明著)を読了した。キャッチーなタイトルに興味を惹かれた面もあるが、大学入試で情報・見解を表明してきた朝日新聞の記者が本件をどのように整理しているのかを知りたく手に取った。本件は一段落したせいもあるが、何故書籍にあるような真っ当な意見が搔き消され、捻じ曲げられた教育行政が行われるのか?是非、昨年確か28回にわたって繰り広げられた「大学入試のあり方に関する検討会議」の内容・発言者背景等を今後に活かして貰いたいと改めて思った。学者でなく、記者が著者であることもあり、上記以外に2021年11月04日ブログ発信した「FACTFULNESS」訳者とのつながり、JACTFL会員の木村 護郎クリストフ先生の「節英」紹介を通じた英語一辺倒への懐疑等、幅広く「英語」を外国語として取り上げており興味が持てた。中でも「カタカナと英語の理解不能な関係」にはICT関係に長く従事し日本で紹介されるカタカナに違和感(個人的にはカタカナでなく、原語そのままスペルが好ましいと思っている)を覚えていただけに共感を覚えた。更に1本前のブログで紹介した「うつりゆく日本語をよむー ことばが壊れる前に」(今野 真二著)の「打ちことば」が目に触れる機会も多く、原語を簡単に翻訳出来る便利な時代に、従来のヘボン式カタカナ表記で悩むことのない方式実現にこそ優先順位があると思った。