流石に主語は変えられないか?

「教育は変えられる」(山口裕也著)を読了した。「人生100年」や「計算機自然」の時代において、当然そうあるべきと思われる内容であるが、人・物・金色々な面で壁は大きいと感じる。筆者が大きな改悪と指摘する「義務教育費国庫負担法」などは今年から始まる「高等学校等就学支援金制度」の議論前に、地方のあり方や教育のあり方を議論して廃止されるべきであったと感じる。記載内容は従来の一方的に与えるばかりの教育でなく、選択する学びへの変容を提起していると思うので、難しいかもしれないが主語の「教育」も変わるべきなんだろう。目指すべきが、ラテン語: ducere(連れ出す・外に導き出す)という由来語に近いなら、「高等学校等就学支援金制度」適用に当たっては、本人の選択・申告申請が先ずありきと思うのだが役所仕事が追いつかないのだろうか?

2026年04月27日